辛いときは目線を下げましょう*
家でコロナのニュースを観てしまって辛いときは、自分や家族が今生きている事実に目を向けてみませんか?
つい半年前までは、まさかコロナによって世界がこんな風に激変してしまうなんて、誰も考えていなかったと思います。
ウイルスひとつで、世界はこんなにも短期間で姿を変えてしまう。
今まで何も考えずに待ち合わせして一緒にお酒を飲んでいた仲間とも、新幹線に乗れば簡単に顔を見られていた両親とも、会うことすらままならない。
生きているって本当に刹那的だし、自分と自分の大事な人達がまだ息をしていること自体がなんて奇跡なのだろうと感じさせられますよね。
より多くの仕事をこなして出世したいとか、よりお金を稼いでいい生活がしたいとか、将来のことばかりに目を向けて生活してきていたとしても、
人は今、この瞬間にしか生きられない。たとえ頭の中で3年先、5年先、10年先のことを考えたとしても、
今、息ができていることだけがすべて。それだけしか、確実なことはないのです。
嫌な人のことを考えたり、やりたくないことをしたりしている時間はありません。これからの私達には、そういう時間はもっとなくなっていくと思います。
地球はたった半年、いえ、3か月もあれば、目に見えないものの存在によって簡単に姿を変えてしまうのです。人間も淘汰されていきます。
人間はこの世のすべてをコントロールできているように普段は見えても、自然災害やウイルスによって、たった3か月で何億という命に一気に危険が及ぶことがある。
明日だと、まだ簡単には想像できないかもしれない。でも、半年後、3か月後に自分や自分の周りの人が生きているかが分からない、というのは、何となく想像しやすいかもしれません。
今生きていること、今まで生かされてきたことは、それ自体が奇跡なのかもしれない。
戦争をやめようと人間が心を入れ替え歩んできたとしても、その大事なことが時代とともに忘れかけられてしまっていようとも、
どんなに素敵な応援の動画やメッセージが人々のもとに届けられても、病気の母親を故郷に置いてきていたとしても、
地球は、そういう事情とはまったく関係のないところで動いていく。
亡くなった大切な人に、最後の姿すら拝むことが出来ずにお別れをした。
いつでも会えると思っていた人に、思いがけず会えなくなった。
そんなことを地球は考えてくれない。地球は地球の原理で動いています。
何もなければ自分の人生が無限のような気がして、「生きていかなければいけない」と気を重くする時期も人生にはあるけど、
間違いがないのは、人間は数々の偶然が重なって「生かされている」だけなのだということ。
辛いときは、一度目線を下げてみること。原点に戻ること。
コロナの中、何とか自分は生きている。家族も、うるさいけど、とりあえず傍にいる。健康で、とりあえず今は皆でご飯が食べられている。
故郷には、直接顔は見られないけど、いつもと変りなく何とか生活できている親がいる。
友人とはLINEでいつでも連絡が取れる。気を付けてね、と言葉が交わせる。
失ったものを数えるよりも、手元に残ったものの幸せを、一度感じてみましょう。