自分のことを待ってあげましょう*
最近よく目にする『コロナ禍』って何て読むんだろう、と思っていたら、『コロナか』と読むのだそうです。『禍』というのは、災害を表す言葉らしい。
そんな中でも、家のベランダには今朝も変わらず鳥たちがやってきて、長いことチュンチュンさえずっていました。
鳥は、今まさか世界が危機に瀕しているだなんて予想もしていないでしょうね。普段と変わらない日常なのだろうと感じます。
私も10年の社会人生活で学びましたが、HSPの性質を持つ人が、人生を通して努力し続けていかなければならないことがあるとしたら、
それは「自分のリカバリーに時間を取る」ということだと思います。
それも、割と全力で。たった1日ゆっくりお風呂に浸かるぐらいでは、足りないです。
たとえば自分にとって考え込んでしまうようなこと、傷つくことがあった時に、他の人なら普通にクリアできているように見える、
・「パーッと飲もう!」的なノリで豪快に騒いでいるうちにいつの間にか忘れる
・「話聞くよ!愚痴った方がいいよ!」と言われ、複数の人の前で悩みを吐露し、叱咤激励されて持ち直す
・「そんなんじゃ駄目だよ!もっと楽観的にならないと」と喝を入れられ、その通りだよね、と数分で立ち直る
・一晩寝たらケロリとしている
というようなことは、HSPにとっては至難の業です。
周りから、元気をもらえることはあると思います。でも、その後一人になった時に、大半の人が再びその問題について考え続けてしまうのではと思います。
自分をストレスの多い環境に置き続け、それがうまくリカバリーされない日々が蓄積されると、結構簡単に「もう消えてしまいたい」という境地へ辿り着きます。(笑)
あえて笑いますが…これは、渦中だと結構深刻なことです。
「きついな…」という精神状態がしばらく続くと、まず
・夜、眠れなくなる/(朝が来るのが嫌で)眠りたくなくなる
・朝、起きられなくなる
・まだその場所に行っていないのに「帰りたい」と思う
・自炊や掃除、入浴がつらい
という状態が続き、それでも自分がうまくリカバリーできないまま進み続けると、
・感じているとつらいので、何も感じないよう感覚を閉じるようになる
・表情がなくなる
・何をするにも面倒になる
・お部屋もぐちゃぐちゃ
となって、結果、ベッドから起き上がれない(=強制終了)、となります。
大事なことは、自分は他人とは違うと、人生を通して認識しつづけることだと思う。
たとえ友達が「こんなのへーき!負けない!」と逞しく立ち上がっていって結果を出し、それがすごく偉くて立派に思えたとしても、
自分が同じことを同じようにできると、簡単に考えてはいけないということです。
私が以前勤務していた職場に、すぐ休憩を取る人がいました。
家族の用事や通院など、理由を作って(いるように他のひとからは見えていた)は、よく時間休や有休を取っていました。
会議には自分の好きなコーヒーを淹れたタンブラーを欠かさなかったし、「たまには気分を変えないと」と、外のカフェで打ち合わせをすることもしばしばでした。
周りからは、「自分にとても甘い人」だという風に噂されていました。
でもその一方で、「仕事がとても網羅的で、細かいことにもチェックが行き届く。彼がいないと結局は駄目だ」とも言われていました。
私は、彼の働き方が好きでした。自分自身のことをよく理解し、マネジメントしているように思えたからです。
彼と話した時、彼は私にこう言いました。「自分は、気を付けないと鬱になる種類の人間だと自覚している。だから休むことも仕事だ」と。
休まないで進み続けることだけが、やるべきことではありません。
細かい所まで考える性質だと、どうしても色んなことに時間がかかります。
持ち直すのにも時間がかかる。計画を立てるのにも時間がかかる。
そして、他を優先する生き方をしていると、結果的に自分の本心を知るのにも時間がかかるのです。
それはもう、きっと仕方がないことだと思います。
多分他の人よりも、気になってしまうポイントが多い。流せないことが多い。考えないということが難しい。傷つきやすい。
これも自分の個性の一つだとしたら、うまく付き合っていくしかない。
もしかしたら、一般的には3日休めば十分休憩できる所を、3か月取らないと消化できないのが自分という人間なのかもしれない。
一晩寝れば回復するところを、もう1週間ぐらいだらだらしないと回復しないのが自分という人間なのかもしれません。
でもとにかく言えるのは、自分がちゃんとリカバリーするまで、自分を待ってあげるということ。
そういう時に世間体や、周りからの言葉も色々気になると思います。でも、焦って進み続けても、我慢し続ける苦しい人生がただ続いていくだけだと思う。
自分の限界は、自分にしかわからない。
休むことが義務になる時期も、人生にはきっとあるものです。